会員の広場
1月14日(火)ハピリンホールにて令和7年新春の集い「見延和靖氏トークショー」を開催し、杉本達治福井県知事をはじめとする来賓の方々にもご臨席いただき、会員企業等から約110名が出席しました。
【光野稔会長 あいさつ要旨】
昨年の県内経済は、長年の悲願であった北陸新幹線が敦賀まで開業し、県外からの観光客やビジネスによる交流人口が増えました。また、「ふくい桜マラソン」などの全国規模の大会や各地でのイベントも数多く開催され、にぎわい創出や経済の活性化が図られたように思います。
このような状況の中、慢性的な人手不足や原材料価格等の高騰が続き、大幅な賃上げも余儀なくされ、価格転嫁が進まない中小企業にとっては厳しい経営環境が続いております。さらに、少子高齢化により今後も労働人口が減少していくことは明らかであるため、テクノロジーの活用・イノベーションの創出など、仕事の「質」(生産性)を向上させることで収益力を向上させ、加えて働きがい等「幸福」を感じる働きやすい環境づくりに積極的に取り組んでいくことが重要になっています。
禅語に「現状受容」という言葉がありますが、現実に起きていることはそのまま受け止め、その現実を解決するために知恵を出し汗をかき、今後、困難や逆境に直面しても前向きな行動や高い適応力によって状況を好転させ、課題を打開していくことが必要ではないでしょうか。
結びになりますが、福井県経営者協会にあっては、本年も労務や人事、働き方改革等、会員企業のお役に立つ事業を、皆様のご意見を伺いながら積極的に進めていきたいと考えておりますので、変わらぬご支援、ご協力を賜りますようよろしくお願いいたします。
【杉本達治知事 あいさつ要旨】
昨年は、元日に能登半島で大きな地震が起き、9月には奥能登豪雨もあり、能登半島を中心に大変な一年でした。一方で、3月16日には北陸新幹線が開業し、たくさんの皆さんにおいでいただきました。県民の皆様にとっても大きな良い影響のあった福井新時代の幕開けにふさわしい年だったと思います。
今後、小浜・京都ルートでの延伸やインバウンドを増やすというところにも力を入れていきたいと思っております。また、人口減少対策として、子育てがしやすいように、喜びを次の世代に伝えていける子育て県である「ふく育県」をさらに進めたいと思いますし、子どもを主役とした教育もやっていきたいと思っております。若い世代や女性、シニアの皆さんにも活躍していただけるような、一人ひとりが自分らしさを発揮できるような幸せ実感社会をさらに開いていきたいと考えております。
長い間物価高騰が続いており、大変厳しい経営環境かと思います。県としても出来るだけ利益を確保できるように、価格の適正化を進めていき、新しいイノベーションや販路を開拓する支援もさせていただきながら、実質賃金を上げていただき、人への投資と経済成長を繰り返していくことで、30年間続いてきたデフレ社会からの脱却を実現できる年にしたいと思います。
【フェンシングオリンピックメダリスト見延和靖氏トークショー要旨】
(司会:福井テレビ 今野真帆アナウンサー)
司会:高校は武生商業高校へ入られましたが、フェンシングありきで入学したのですか?
見延:フェンシングをやる前提で入学しました。当時は未経験でも運動能力の高い選手をセレクションしてフェンシング部に入部させる制度があり、体験会に参加し、推薦をもらい入部しました。対人競技の駆け引きの楽しさもあるので、これは楽しいスポーツだなと思いました。3年間全力で取り組めると思ったので、フェンシングで高校生活を全うしようという覚悟を持ちました。
司会:法政大学での大学生活はいかがでしたか?
見延:大学は監督やコーチが常駐している環境ではないので、だからこそ自分でいかに課題をもって練習メニューに取り組めるかで大きく差が付きます。高校3年間で先生に叩き込まれたので、武生商業出身の選手は大学でぐっと伸びました。全国制覇を一度は成し遂げたいという思いがありましたが、徐々に結果が出るようになり、大学で取れるタイトルを個人・団体とも全て取ることができました。
司会:タイトルを取るようになり、日本代表への意識はどうなりましたか?
見延:その頃はオリンピックに出たいとまでは思っていませんでした。ただ、頂点に立つことでしか見られない景色を見ると、それまで見えなかったものが見えるようになりました。目標として掲げられるまでの位置に来たときに、日本代表を大学生活での最大の目標にして、けじめをつけようと思いました。
司会:イタリアでの修行を経て、2015年の世界選手権では、日本男子エペ個人初の優勝を成し遂げましたが、勝てた要因は何だったのでしょうか?
見延:他の選手が練習相手になるので、自分だけが強くなるだけでは不十分で、他の選手たちも強くしないと結果的に自分も強くなれないと感じていました。アドバイスしながら高め合うことで、チーム全体が強くなってきたということもあって決勝は日本人対決になりましたが、僕の方が優勝するイメージが強かったから優勝できたのだと思います。
言い方は悪いのですが2位になることは実は簡単で、1位になることがすごく難しい。目標とする人をつくるのは道のりとしては最短ですが、限りなく近付くことは出来ても超えることができず2位で終わってしまいます。だからこそ、「日本人初」という自分が切り開いてきたことに価値があるとずっと思ってきました。
司会:東京オリンピックはどんなメンバーでしたか?
見延:史上最強のチームでしたね。全員がエース級。フランスやイタリアなどの強豪国は国の“型”みたいなものがありますが、日本チームは歴史が浅く、“型”がないので、逆に強みとして捉えるようにしました。みんな我流の強さでしたが、ひとまとまりになれば強い。ただ、チームをまとめようと思うと大変ではありました。元々は個人競技なので、我が強いチームになると全員自分が一番だと思ってしまいます。自分のスタイルを貫くのはいいことではありますが、その反面自分を正当化して相手を否定してしまうことがあります。僕にだって当然考え方はあるし、それと真逆の考えの持ち主もいる。ただ、相手の話を聞くと納得できるところもあるし、結果的に自分にも活きてくることでもあります。いつもチームのメンバーに言ってきたのは「自分の話を聞いてもらいたいなら、まずは相手の話を聞こう」ということ。それからは否定的なことは減ってきて、個性はありながらもチームとして幅が出来てきました。
司会:パリオリンピックでは、東京とは違うメンバーでしたが、キャプテンとしての役割はどのようなことでしたか?
見延:チーム作りでいうと、正直コーチよりもやってきた自負があります。東京オリンピックのチームと比べて、穴をどう埋めるかを考えてばかりでしたが、同じような選手で補うようなことをしても前回を超える結果が出ることはなく、結局チーム力が下がるだけだと思うようになりました。新しく入った選手にハマるように僕たちが少しずつ形を変えて、一つの絵を完成させられるようなチームを作らないといけません。そこで自分も少しずつやり方やスタイルを変えて新しいチームを作っていきました。
司会:見延選手といえば、精神統一のために包丁を研いでいるというエピソードをお聞きします。
見延:以前、越前市のふるさと大使に就任したご縁で打刃物の職人さんが作った包丁を頂いたのですが、鳥肌が立つような、刀のような鋭さと輝きで、越前の魂が込められた包丁を自分自身も研いで触れることで、越前代表という気持ちを思い出すこともできますし、研ぐという動作自体も精神統一になるので取り入れています。試合にピーキングを合わせる最初のタイミングで、包丁を研ぎ無心になり、心の中の器をきれいに空っぽにすることで、そこに目標を達成するための大切なものを入れていく感覚でやっています。
司会:今後の目標や理想のチームリーダー像を教えてください。
見延:リーダーに求められる一番の資質は、どれだけ未来をイメージさせてあげられるかということ。言葉で導くのも当然ですが、一番は目指すべき将来のビジョンをより鮮明に思い描き、チームに伝えられる力だと思っています。今年37歳で、まだまだ現役は続行する予定です。さらに、折れ剣プロジェクトなど、競技を通じて福井の良さを発信していくことも自分にしかできないことだと思っています。そのためには、競技で勝ち続けることが大前提として必要なので、競技も極めていきたいです。
【能登半島復興支援募金活動】
当日は受付に募金箱を設置し、来場の皆様に協力を呼び掛けました。集まった浄財45,270円は日本赤十字社福井県支部を通じて能登半島の被災地へ贈られました。